アメリカ大統領の歴代ワーストランキングです。米国学者の投票による歴史的評価。
順位 | 名前 | 詳細 |
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1位 | ジェームズ・ブキャナン | 詳細↓ |
2位 | ドナルド・トランプ | 詳細↓ |
アンドリュー・ジョンソン | 詳細↓ | |
4位 | フランクリン・ピアース | 詳細↓ |
5位 | ウィリアム・ハリソン | 詳細↓ |
1位はジェームズ・ブキャナン。2位はドナルド・トランプとアンドリュー・ジョンソンになっています。 直近の過去3件の投票結果を集計し、ランキングにしました。集計の対象とした調査は「アメリカ政治学会(2018年)」「C-SPAN(2021年)」「シエナ大学(2022年)」の3つです。
順位 | 名前、在任期間、政党 | 功績、略歴など |
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1位 | ジェームズ・ブキャナン
1857年3月~ 1861年3月 <第15代> 民主党 |
最も偉大な大統領として評価されるリンカーンの一つ前の大統領である。
南部諸州の連邦脱退を招き、南北戦争の原因をつくったと言われる。 大統領としてたいへん優柔不断だった。危機的な状況を打開するために「統率力」や「決断力」が欠如していたとの評価が多い。 ブキャナン大統領が就任する3年前、「カンザス・ネブラスカ法」という法律が成立した。 この法律は、奴隷制を採用するか否かは、それぞれの州で決められる、という内容だった。 この法律によって、奴隷制の「廃止」を求める北部と、「存続」を望む南部の対立が激化した。 こう状況下で、ブキャナンは大統領に就任する。 就任直後、ミズーリ州の奴隷である黒人ドレッド・スコットが「自由州で暮らしたことがある自分はすでに自由人である」として憲法裁判を起こした。 これを受けて、ブキャナンは最高裁に判決を求めた。 最高裁は「奴隷は国民には値しない。奴隷は私有財産。つまり黒人は人間ではなく財産である」との判決を下し、請求を棄却した。 一方、1854年、奴隷制度に反対する勢力が結集して共和党が創設された。 ブキャナンの人気中の1960年に行われた大統領選挙では、 奴隷制反対派である共和党のリンカーンが当選した。この選挙結果を受けて、南部のサウスカロライナ、アラバマ、ジョージア、テキサスなど7州が連邦を離脱した。南北の対立は、危機的な状況となった。 しかし、ブキャナン大統領は「離脱は憲法に反する」と非難しつつも、戦争に発展するのを恐れて正面から阻止するための行動を起こさなかった。 ブキャナンの任期切れ間近の1861年2月には南部7州が連邦を脱退して新国家「南部連合」を結成した。 弱腰だったのだ。ブキャナンは、この動きを防ぐことができなかった。 |
2位 | ドナルド・トランプ
2017年1月~ 2021年1月 <第45代> 共和党 |
事実を無視し、誇張や捏造に基づく主張を叫ぶ「反知性主義」の世界的リーダーとして登場。退任時までその姿勢を貫いた。
不動産会社オーナー及び人気テレビタレントという職業から、 政治経験ゼロで大統領に選ばれた。 テレビやSNSを最大限に活用した扇動的な言動によって、 主に白人男性の低学歴・低所得層から熱烈な支持を得た。 経済政策では、 企業に対する減税を実行。 前任のオバマ政権時から続いていた株高と景気拡大を持続させた。 その半面、減税によって財政は悪化した。 太平洋地域の自由貿易協定「TPP」や温暖化対策の「パリ協定」から離脱。 長年にわたり強固な同盟を組んでいた西欧諸国とも距離を置く一方で、ロシア寄りの姿勢をとる型破りな外交を展開した。 アメリカから世界の覇権を奪還しようとする中国に対しては、関税の引き上げなどによって貿易戦争を仕掛けた。 政権4年目の2020年、 感染症コロナウイルスの対策に失敗。 任期中に約40万人の死者を出した。 世界で断トツ1位の犠牲者数となった。 この失政によって高齢者や女性からの支持が低下。 再選を果たせず退任した。1期で終わった大統領は28年ぶり。 任期中の2018年に行われた学者アンケートで、 ブキャナンと並ぶ歴代ワースト大統領に位置づけられた。 その後、2回にわたって米議会(下院)の弾劾(だんがい)訴追を受け、さらに評価を下げた。 弾劾訴追の1度目は、ロシア政府による米大統領選への介入を招いた問題。 もう一つは、議会を襲撃した右翼デモを扇動した事件。 |
アンドリュー・ジョンソン
1865年4月~ 1869年3月 <第17代> 国民統一党 |
南北戦争終結後にリンカーン大統領が暗殺されたことを受け、1865年に副大統領から大統領に昇格。陸軍長官の解任を巡って議会と対立し、1868年には弾劾訴追された。1票差で罷免(ひめん)は免れた。後任大統領の就任式には政治的対立から欠席した。 | |
4位 | フランクリン・ピアース
1853年3月~ 1857年3月 <第14代> 民主党 |
北部ニューハンプシャー州出身ながら、奴隷制度を支持した。南北戦争前の混乱と対立を招いた指導者の一人として、低評価を受けている。
上院議員を経て、いったん地元に戻って弁護士として活動。その後、対メキシコ戦争に一兵卒として志願した。戦地での武勇伝で人気を博した。 在任中、議会で提案されたカンザス・ネブラスカ法案を支持した。 この法案は、州へと昇格する予定だったカンザスとネブラスカについて、奴隷制を導入するか否かは州の住民が決める、とした。 両地域は1820年の「ミズーリの妥協」によって、自由州になるはずだった。 すなわち、ミズーリの妥協を破棄する内容だったのだ。 外交面では、領土拡張派だった。キューバ併合をたくらんだ。 1期目で民主党に見放され、2期目の再選出馬に向けた党指名を受けられなかった。後任には、同じ民主党で、同じくワースト大統領ランキングの常連であるブキャナンが就任した。 大統領退任後に起きた南北戦争でも、南軍を支持した。 晩年はアルコール依存症だったという。 |
5位 | ウィリアム・ハリソン
1841年3月~ 1841年4月 <第9代> ホイッグ党 |
史上最短の大統領。就任からわずか1か月で死去した。結果として、何の実績も残せなかった。
死因は、風邪をこじらせたことによる急性肺炎だった。体調悪化の理由の一つとされるのは、長時間にわたる就任演説だった。寒い日にもかかわらず、コートや帽子なしに1時間45分にわたってスピーチを行った。史上最長の就任演説とされる。 さらにその後、強い雨が降るなか、ホワイトハウスまで馬に乗ってパレードした。その結果、風邪をひいてしまった。 就任時の年齢は68歳だった。ロナルド・レーガンが1981年に69歳で就任するまで史上最年長の記録を140年にわたって保持した。 孫のベンジャミン・ハリソンが大統領になった。 |
6位 | ウォレン・ハーディング
1921年3月~ 1923年8月 <第29代> 共和党 |
汚職事件などのスキャンダルにまみれた。自らの支持者を政府の要職にあて、腐敗を招いた。
国内経済を重視し、外交政策は内向きだった。国際連盟への加入を拒否した。ドイツやオーストリアと単独講和条約を結び、第一次世界大戦を正式に終了させた。前任のウィルソン大統領の理想主義(進歩主義)とは反対の方向を歩んだ。 在任2年半で脳出血により死去。 |
7位 | ジョン・タイラー
1841年4月~ 1845年3月 <第10代> 無所属 |
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8位 | ミラード・フィルモア
1850年7月~ 1853年3月 <第13代> ホイッグ党 |
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9位 | ハーバート・フーヴァー
1929年3月~ 1933年3月 <第31代> 共和党 |
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10位 | ザカリー・テイラー
1849年3月~ 1850年7月 <第12代> ホイッグ党 |
順位 | 名前、在任期間、政党 | 功績、略歴など |
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11位 | ベンジャミン・ハリソン
1889年3月~ 1893年3月 <第23代> 共和党 |
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12位 | チェスター・A・アーサー
1881年9月~ 1885年3月 <第21代> 共和党 |
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ジョージ・W・ブッシュ
2001年1月~ 2009年1月 <第43代> 共和党 |
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14位 | ラザフォード・ヘイズ
1877年3月~ 1881年3月 <第19代> 共和党 |
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15位 | リチャード・ニクソン
1969年1月~ 1974年8月 <第37代> 共和党 |