JASC参加のきっかけは何だったのでしょうか
1989年の春に飯田橋のBritish Councilで英語の講習を受けている時に参加者募集のポスターを見かけて、興味を持ちました。大学では運動会の合気道部にいたのですが、そのやりすぎなどで進学にぎりぎりの点数にもなり、志望した学部に行けず、大学に行く意義などを模索していた時期でもありました。
あともう一つの理由は、ESS(英語サークル)で渉外(英語会連盟の仕事)をやっていたのですが、ESSで日本人相手に話すことに限界と鬱憤を覚え、応募したいと思いました。
― なるほど
そうして選考を受けたら運良く合格しました。僕は帰国子女でもなく、18年間四国の高知県を殆ど出ることなく上京した学生なので。それが、なぜ千載一遇のこのような会議と出会えたのかは運命のような気分がします。
JASCを通じて何かを得たと思われますか?
4週間を約80人の学生と過ごすわけですから、本音で話すことが多くなって、腹を割って話せるような友人がたくさんできたことですかね。きれい事で話し終えられるのはせいぜい最初の1週間でしたね。
あと、アメリカ人の学生といると、合わせ鏡のような状況に置かれるのですよね。概ねアメリカ人はずばずば物を言いますし、皆同じ学生なのですが、世代も文化も考え方も違うことも少なくはない。具体的には、アメリカ人は考えながら話すことが多く、そういう考えでも筋が通っていれば受け入れられる傾向がある。対照的に日本人は考えがまとまった後に話すから、話し出すのが遅い。日本はアメリカに従属していると国際的な力関係をとらえ、また、アメリカ人に対して日本人の意見は通らないと唱える人もいますが、そうではなくて、逆に日本人相手よりもアメリカ人相手の方が、主張が通りやすいことが多いのに気づきました。
― JASCの経験の中で今のお仕事に活きていることはありますか?
外交官として13年目を迎えましたが、まずは自分の国や自分のことを知らないと、相手のことも理解できないですし、外交もできないと感じることが多いです。その意味で合わせ鏡としての日米学生会議は、僕の中で生きています。
JASC参加の意義とはどんなことだと思われますか?
やっぱり、日米関係って国際関係の中で一番長く続いているものの中の一つに入ります。現在のところ国力では世界で、1、2位ですし、国連でも負担金が両国とも一番多い。そういう中で、ビジネス、行政、国際法など色々な面で一緒に何か仕事し、利害を調整する、分かち合うことって多いと思うのです。その中で現実には色々とコミュニケーションの問題もあるようなので、一緒に学生会議を通じて、何かを作り上げるのを擬似体験することはすごく良い経験だったと思います。
例えば、何かについて議論するにも、単純化した例としては、あなたはアメリカ人、私は日本人というふうにバックグラウンドが違うことを確認するだけじゃなくて、どこまで合意するのか、どこから意見が合わないのか、ここまで議論を詰めることの重要性を認識させられました。いわゆる、agree
to disagreeというやつで、確か、会議の中でも「僕は今でも君の意見に反対だけど、君がどうしてそう考えるようになった背景は分かる気がする。」ということをつぶやいた人間がいたのを記憶しています。
―つまり、国際的な環境の中でどうコミュニケーションをとって行けばいいのか、一つの指標になったというわけですね。
そうですね。あと、もう一つ思い出深かったのは、開催地東京から次の開催地富山へ移動する合間の立山でのクーリングオフでの出来事でした。前年に北京でおこった天安門事件について議論していて、メディアが入る富山で哀悼、或は抗議の意志を表明しようという提案がありましたが、日米学生会議の意義に立ち戻って熱い議論を突然繰り広げることになりました。ある者は、天安門事件に対する抗議声明を発表すれば、中国との良好な関係を重視する公共団体等の賛助団体が、日米学生会議に約束してくれていた補助金を出してくれなくなることを懸念しました。またある者は、「そもそも学生会議は社会人になって個々の責任で政治社会活動を行うための揺籃期であり、そんなことは会議の外でやるべきであり、会議を利用してはならない」と主張しました。一方で、「政治的な意思表示、『行動』なしで会議の存立はありえない」と富山での声明発表を強く推した者もいました。粘り強い議論が続き、結局富山では米の自由化公開シンポジウムの冒頭で中国の亡くなられた学生に哀悼の意を表する穏健なものに落ち着きました。
その後も、私たちはそうした出来事や日頃思うことをインターネット時代前はミニコミ紙でやりとりしていましたし、それ以降も電子掲示板で議論を繰り広げていました。世代的に結婚、海外赴任、留学、家族の誕生などが多いので、最近は近況報告のみにとどまりがちなのですが、何らかの形でコミュニケーションはとり続けています。熱く議論した経験も、熱く議論できる仲間も、またその後の人生の糧になるような経験もできて、日米学生会議に参加して本当に良かったと思っています。
少なくとも僕にとって、日米学生会議はまだ終わっていないのです。宿題を未だに負っている感覚があります。
―きっと、参加者の皆さんは、それぞれの思いを抱いて、社会でご活躍しているのですね。
あと、社会人になって余裕がなくなったり忙しくなったりする時期はあると思いますが、そういう時に支えてくれるのが日米学生会議の同期です。そういう仲間は僕の財産です。
今後の参加者へのメッセージがあればお聞かせ下さい
ぜひ、日米学生会議を「入り口」や”stepping stone”にして、(こころにも)焦げつく夏を過ごしていただけたら、と思います。学生は多少の無謀さをもって、色々なことに挑戦して、「さなぎから蝶になる」ために自分から殻をガシガシと破っていってください!本会議が始まる前も大変で、はじまってしまうと会議は怒濤のように終わってしまいますが、終わってからもそうした強烈な経験、友情を反芻し、少しずつ育てていって欲しいと考えています。
―お忙しい中、本当にありがとうございました。
インタビュアー 島村明子(第58回会議実行委員)