日米学生会議(以下、JASC)に参加したきっかけは?
私が学生だった1970年代は、現在のように情報へのアクセスが整っていない時代でした。そんな中、アメリカの文化に惹かれていたこと、またJASCに参加する一年前の夏に、友人と二人でアメリカを訪れたことが、参加のきっかけです。
当時は、バックパッカーも流行っていましたが、私たちもリュックをしょってアメリカを貧乏旅行したのです。今のように、簡単に海外にいける時代ではなかったですね。
JASCに参加して感じたこと、得たものはありますか?
アメリカへの旅行やJASCに参加した中で、実感したことは、アメリカ人も日本人とそれほど変わりはないということです。当時はアメリカ文化の若者への影響力が強く、非常に刺激的な国という印象が強かったのですが、実際に当地を訪れてみると、学生の行動やファッションが日本で得ていた情報をもとに抱いていた印象ほど特別なものではなく、普通だと感じました。
ただ、アメリカ人の学生が政治的な議論などで、意見を真っ向から戦わせ、白熱している姿には驚かされました。
JASCで出会った友人にはいろいろな影響を受けました。現在でも、「読書会」というかたちで年に1,2度、持ち回りで本を選び、感想を述べ合う会を開いています。再会がいつも一番大事な目的なんですけどね。教師や商社、メーカーで働く仲間、それぞれ違った仕事を持っていますが、当時の参加者6人ほどで集まっています。その中でも私が一番ドメスティックな職場にいるかもしれません。なかなか全員が日本に揃っていることは少ないのですが、時にはテヘランからの仲間の帰国に合わせて会を開くということもあります。
−素敵ですね。僕らもそんな関係が築けるように頑張ります。
そうですね。つながりを感じます。第29回JASCのリユニオンも最近開かれました。
船山さんは、ドメスティックな職場で働かれているとおっしゃっていましたが、わりと海外と関わりの深い職場を選ぶJASCのOB・OGが多い中で、なぜ今の職業を選択されたのですか。またJASCは船山さんの仕事選びに何か影響はありましたか。
この仕事を選んだ背景は本や活字に興味があったからです。特にJASCが大きく影響して今の仕事を選んだというわけではありません。もちろん、いろいろな面でJASCから得たものは大きかったのですが。
ただ、JASCでの友人関係が雑誌作りに発展した経験があります。今日はJASCと仕事のつながりという意味で20年以上前のことですが、過去に私が関わっていた青年向け週刊誌「平凡PUNCH」という雑誌で、韓国を紹介する特集を組んだことをお話します。
この号が発刊されたのは、1988年のソウル五輪の3年前でした。当時の韓国は、経済発展が進む一方で、北朝鮮との軍事的な緊張も今よりも厳しく、また言論の自由も十分に保障されていなかったことなどから、私などは少し怖い国という印象を抱いていました。
そんな時に、JASCの参加者に韓国を勉強している友人がいて、彼を訪ねつつ、女性二人で韓国を旅行しました。当時、韓国に行く日本人旅行者と言えば、キーセン観光という売春目的の中年男性が多く、現地での日本人の印象は決してよくありませんでした。だから、女性二人で来ていることに現地の方がびっくりされ、親切にしてくれる方もいました。韓国の活気、エネルギーにも驚きました。
韓国はもっと面白くなってくるんじゃないか、そして韓国の今の顔を日本の若者に伝えたいと思い、上司に提案して、取材が実現しました。今のような韓流ブームとは程遠い時代でしたが、日本では滅多になかった韓国特集であったこともあって雑誌もよく売れました。
私がJASCの友人を訪ねたことに始まり、そこから「近くて遠い国」の横顔を紹介する記事が実現したという意味で、どこかでJASCの目指す国際交流につながるものがあるのでは、と思います。
今日、現在のJASCer(日米学生会議参加者、学生)に会ってみて参加された当時のJASCerと違いを感じますか。
今日、少しお話ししただけではわかりません。ただ、JASCに参加した77年の夏は面白い夏でした。みなさんも楽しんでください。
結び
船山さんありがとうございました。今回は特にJASCに関係するテーマについてのインタビュー内容を書きました。特に平凡PUNCHの記事については「文化とアイデンティティ」分科会の大原くんも感想を書いてくれているので、そちらもぜひ読んでみてください。僕とは違った視点で、感想を交えて船山さんのお話を描いてくれています。
また、JASCとは直接関連しないのですが、「雑誌とは?!」というお話も非常に面白かったです。船山さん曰く、雑誌とはあくまで「雑」である。つまり雑誌は、自分の得たい情報にダイレクトにアクセスするような、例えば参考書や辞書のようなものと異なり、それ以外の情報にも偶然に出会う可能性があることも魅力の一つだそうです。そして、そこに生活を豊かにするちょっとしアイディアやヒントがあること、しかもそれが低価格で売られていて、誰にでもアクセスしやすいことなどが、雑誌が必要され続ける所以ではないかとおっしゃっていました。
僕自身も船山さんの言葉には強く同意します。
また、あるテレビで、デザイナーの方がゲスト出演していたときに、司会者が彼に疑問を投げかけました。「デザインは生きるために必ず必要なものではない。そのデザインにかけることができるのはなぜなのか?」それに対して、同じくもう一人の司会者が脳学者の見識を背景に答えていました。「必要なもの、例えば食物を欲する脳の場所とデザインをいいと思う(欲する)脳の場所は同じなんだよ。つまり食べ物は体の栄養で、デザインは心の栄養みたいなものかな。」
なるほど、雑誌も、もしこの世になかったら人が生きていけないというものではない。しかし、その雑誌は私たちの生活の知恵や楽しみ、知識を与えてくれる。そして心を豊かにしてくれる。心の豊かさは生活の豊かさに結びつく。
そんな雑誌を通して、人々の生活に何かをもたらそうとされている船山さんの仕事に強い魅力を感じた。
私たち、現役のJASCerはもちろんのことまだ学生の身分だ。そして今、私たちは社会への門出を前にして、単に働くというだけでなく「働き方」を問い続けている。答えはないかもしれない。しかし、今日、船山さんにお会いさせていただき、活き活きと雑誌の魅力を語る姿をご拝見して、とてもステキだなと思った。
これからもステキなOB/OGの方をインタビューしていきたいと思います。
インタビュアー 山田裕一朗(第58回会議実行委員)