明神茂(みょうじん・しげる)氏は日本の伝説的な投資家(トレーダー)。アメリカの投資銀行(証券会社)ソロモン・ブラザーズの元副会長。ソロモン東京支店の債券トレーダーだった1980年代と1990年代に巨額の利益を稼いだことで有名。国税庁の「高額納税者番付(長者番付ランキング)」にサラリーマンながらランクインした。年収は約40億円まで増えた。21世紀にはヘッジファンドで活躍した。

氏名 明神茂(みょうじん・しげる)
生年月日 1949年8月29日
出身地 名古屋
年収 給与のみで最高約40億円
主な職務 ・ソロモン・ブラザーズのアジア地区の責任者
・ソロモン・グループ米国本社の副会長
・ホライゾン・アセット
出身大学 中央大学(法学部)
新卒で入社した会社 山一証券
得意分野 日本国債の売買
伝説 「1人で10年分の利益をあげた」
「日本のソロモン社員数百人分の給料を1人で稼いでいた」
愛称 シュガー
別称 「兜町の大明神」
「売りの明神」
「日本一の高給サラリーマン」
ソロモン時代の部下 松本大(マネックス創業者)
関連著書

経歴・プロフィール・伝説

経歴としては、中央大学を卒業後、新卒で山一證券(後に倒産)に入社。山一のロンドン支店勤務だった1979年、アメリカの名門投資会社ソロモン・ブラザーズにスカウトされる。

日本国債トレーダーとして出世

ソロモン・ブラザーズ・アジア証券に在席し、債券売買のトレーダーとして天才的な能力を発揮する。 とくに日本国債に関しては抜群の成績だった。1982年、ソロモン東京支店の立ち上げの中心メンバーとなる。

裁定取引

1980年代半ばからは、債券の裁定取引で荒稼ぎするようになる。現物と先物の価格差に着目して確実に利ザヤをかせぐ方法だ。景気や物価の動向を分析し、正確な利回り計算を行う。そのうえで「安く買って、高く売る」という取引を繰り返すのだ。ソロモンの得意分野であり、それを東京で実践できるのが明神氏だった。

バブル崩壊でも勝つ

1990年代初頭、日本経済のバブルが崩壊し始め、株式相場が急落する。この局面では、明神氏の裁定取引が一段と威力を発揮した。「ソロモン東京支店の数百人の社員の生活費を一人で稼ぎ出す男」と言われるようになった。

麻雀も強い

麻雀にも強く、相手がせこい手で上がろうとすると、本気で怒ったそうである。

ソロモンの米国本社の副会長(トレーディング担当)

1992年2月にソロモン東京支店の最高経営責任者(CEO)に就任。さらに、米国本社の最高機関である経営委員会に就任する。英米人以外では唯一の経営委員会のメンバーとなった。

1992年の「長者番付」で92位

1993年5月に発表された日本の高額納税者ランキング(通称「長者番付」)で、全国92位に入った。当時43歳だった。

年収7億円のサラリーマン

1992年分の納税額は3億4000円。推定所得は約7億円だった。バブル時代の長者番付ランキングの大半は、土地などの資産家だった。給与所得だけのサラリーマンが長者ランキングの100位以内に入るのは極めて異例だった。

大半はボーナス

7億円の所得のうち基本給は2000万円に満たなかった。大半は1992年1月に支払われたボーナスだという。 外資系らしく、ソロモンの給与は能力給の比率が高かった。

野村証券に迫る利益

1992年3月期のソロモン・ブラザーズ・アジア証券の決算は、売買による収益は、1991年の8億円の40倍近い、314億円になった。経常利益も239億円と、1991年の約3倍になり、野村証券に迫った。山一証券は赤字に転落していた。ソロモンは、主力の債券取引は圧倒的な強さを見せており、その中心が明神氏だった。

米国本社の副会長に昇格

1996年、ソロモンの米国本社の副会長(トレーディング担当)に就任した。トレーディング担当の副会長は、かつて、ウォール街の裁定取引の王者だったジョン・メリウェザー氏のポストだった。

メリウェザーの成功と失敗

プレナス投資顧問によると、ソロモン退社後の1664年にヘッジファンド「LTCM」を創業したメリウェザー氏は、先進各国の債券の利回りに注目し、為替レートをにらみながら、さやを抜く(アービトラージ)という手法を採用。最初は日本の株と転換社債などで成功した。主に日米欧の債券で運用し、高利回りを挙げてきた。数学モデルを駆使し、先物・オプションなどのデリバティブ(金融派生商品)をてこに、利益を拡大した。

しかし、1998年の夏以降のロシアの金融危機で、米国債など安全な公社債に資金が逃避し、利回り格差は逆に拡大、運用の前提が崩れてしまった。ウォーレン・バフェット氏に救済を申し込んだが、拒否された。米保険大手AIGやジョージ・ソロス氏などの支援も模索されたが、最終的にはニューヨーク連邦準備銀行の主導で、融資元のゴールドマン・サックスやメリルリンチなど15行が総額37億ドルを出資して緊急支援することで合意した。

日本人初のウォール街の最上クラス

明神氏の副会長就任は、日本人として初めてウォール街の経営トップ層にまで出世する事例となった。 ソロモン社員だった末永徹氏の著書「メイク・マネー」によると、この人事を聞きつけたテレビ番組「進め!電波少年」の松村邦洋(お笑いタレント)が、花束を持ってソロモン日本本社にアポなし訪問してきた。 もちろん、明神氏には会ってもらえず、退散した。

年収35億円に

明神氏の1996年の年収は3100万ドル(約35億円)以上に達した。山一証券の1996年度の経常利益(12億円)を3倍に達した。

シティに吸収

ただし、かつてウォール街ナンバーワンの投資銀行として君臨したソロモンは、1990年代に入って他社に追いつかれ、1997年にトラベラーズ(現シティグループ)に吸収された。

退社

チューダー日本法人のCEO

1999年、明神氏はソロモンを退社する。 チューダー・ジョーンズ率いるチューダー・ファンドが1999年に設立した日本法人のCEOに就任した。

<明神茂氏の略歴・年表>
1949年
8月29日
名古屋市に生まれる
1968年3月 愛知県立旭丘高校を卒業
1969年4月 中央大学 法学部に入学
1973年3月 中央大学 法学部を卒業
1973年4月 山一証券に入社。営業担当となる。静岡支店でトップの成績を出す。
1977年 山一証券ロンドン支店に赴任
1979年 ソロモン・ブラザーズにヘッド・ハントされ、転職。
1992年2月 ソロモン東京支店のトップに就任。
1993年5月 日本の長者番付(1992年分の納税額ランキング)で、92位に
1999年 ソロモンを退社。チューダー・インベストメント日本法人のCEOに就任
小説「巨大投資銀行」のモデルに

2005年に発表された黒木亮の小説「巨大投資銀行」では、明神氏が登場人物のモデルの一人になった。小説の中では竜神という名前。小説の中であだ名は「ソルト」と呼ばれているが、実際のニックネームは「シュガー」だった。

ヘッジファンド「ホライゾン・アセット」

ソロモン退社後、ヘッジファンド「ホライゾン・アセット」などで投資活動を続けた。