ロシア民営化とオリガルヒ~岩倉哲也

ロシアには現在1000億円以上の資産を有する「ビリオネア」が87人いる。モスクワは世界一、ビリオネアが多い都市だ(74人が在住。2位は71人のニューヨーク)。いったい、「労働者の国」で何が起こったのだろうか?

1991年のソ連崩壊後、改革を主導したガイダル首相代行、チュバイス副首相は、国際通貨基金(IMF)の勧告に従い「大規模な民営化」に踏み切ることを決断した。

しかし、ここで大きな問題にぶち当たる。共産主義下のロシア人は皆「国家公務員」だった。そのため、国有資産を買い取る資金力を持つ者は1人もいなかったのだ。そこで、「バウチャー方式」という方法が採用された。

「バウチャー」とは「民営化証券」と訳される。政府は全国民に一定額のバウチャーを無料配布し、これを民営化された企業の株式と交換できるようにした。

もっとも、民間企業が存在しない共産国に住んでいた国民には、そもそも「株式」の意味すらわからない。ほとんどのロシア人にとって、バウチャーは「猫に小判」でしかなかった。

一方で、この紙切れが「大富豪へのエクスプレスチケット」であることを悟った人びともいた。バウチャーは売買自由だったので、彼らは安値で買いあさった。

ある者は、トラックにウォッカを積み込んで田舎に行き、純朴な村民に「ウォッカとバウチャーを交換せんか」と持ちかけた。村人は喜んで交換に応じた。こうして、「万民平等」のロシアに「格差社会」が訪れることになる。

たとえば、ユダヤ系のイサクさんは、モスクワ郊外にある乳製品工場の社長だった。

彼は工場が民営化され株式会社になった後、従業員からバウチャーを安値で買い取り、同社の単独オーナーになる。数年後、彼は数億円で株を売却し、イスラエルに引っ越した。かたやバウチャーの価値に気がつかなかった従業員たちは、現在月2万円ほどの年金で暮らしている。

1995年末から、民営化は第2段階を迎える。GDPの急激な減少とハイパーインフレが収まらず、国庫は空の状態だった。そんなとき、バウチャー民営化により出現した銀行家たちが政府に、「おカネ貸しましょうか?」と提案したのだ。

政府は喜んだ。しかし、銀行家たちは続ける。「私たちにもリスクがあるので、国有資産を担保にしてください」。政府が返済できない場合、担保の資産は競売にかけられる。しかも、これは完全な出来レースで、カネを貸した時点で、その資産が誰の所有になるのか合意ができていた。

この部分は非常に重要である。なぜなら、この時点で石油や鉄鋼などロシアのドル箱部門が、民間に移ったからだ。たとえば、ミハイル・ホドロコフスキー(44歳)のメナテップ銀行は、石油大手ユコスを約300億円で取得。その後、ミハイル・ホドロコフスキーが経営を立て直し、2003年夏までに時価総額は3兆円に跳ね上がった。

濡れ手に粟の大儲け。金融と資源を牛耳るオリガルヒ誕生の瞬間である。



岩倉哲也

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